こいしのブログ

50代サラリーマンおじさんの人生振り返りと資格試験学習、法律、お金、不動産の話し

コロナで人生激変!50代からの新たな挑戦へ

2019年2月、出張で滞在した米国から日本への帰国便はガラガラでした。恐らく1/3も乗っていなかったと思います。


2018年末頃から中国武漢から始まった新型インフルエンザ、コロナの影響で人の移動が制限され始めていたのでした。

 

その頃の日本の状況は、
「今日は東京で2人の感染が確認されました」
「今週は全国で20人の新規感染者が出ました」
と言う具合で、まだそんなに切羽詰まった状況ではありませんでした。
3月末に予定していたヨーロッパ出張も、現地スタッフに念の為確認すると、予定通りで大丈夫との事でした。
この時点ではあんなに酷いパンデミックになるなんて、誰も予想していなかったのですよね。

 

1918年から1920年にかけて流行し、死者5,000万人から1億人を出したスペイン風邪(引用:ウィキペディア https://ja.m.wikipedia.org/wiki/スペインかぜ) を経験した人は、現代には存在しないですから、現代人類にとっては誰も経験したことがない未曾有の危機だった訳です。

 

私の勤務する会社でも3月の出張が1週間前にキャンセルになり、4月からリモートワークが導入されました。国際線航空便も4月辺りから全面的に運休になり、日本国内線も多くが減便となり、人の流れも、物の流れも、全て激減しました。

 

それまで当たり前だった日常が激変!

 

自宅から外へ出れなくなり、会社にも行けず、給料は大幅にカット、退職勧告が相次ぎ、自分の勤務先も友人達の会社でも多くの友人、知人が職を失いました。
友人が経営する飲食店は軒並み休業を余儀なくされました。

スーパーの食料品売り場は全く物が無くなり、本当に恐怖を感じました。

スーパーから物が無くなった!


幸い私は会社に残れましたが、いつ職を失ってもおかしくない状態に。
これまで小さな不安や不満は有っても、仕事は順調で自分のやりたい事、やるべき事、社会での役割を精一杯やっていれば普通に生活が出来ていたのに。なんの前触れなく世界を襲ったパンデミックは皆んなの生活を突然叩き壊しました。

 

会社への出勤が無くなり、勤務時間も給料も減る中、多くの友人が生活を支える為にアルバイトしたり、生活に余裕がある人は一日中Netflixを見てると話していました。
私も仕事が終わると何もする事が無くなりました。

貯蓄がある程度在ったのでアルバイトする必要も無かったのは良かったのですが、生来の貧乏性でダラダラ過ごす事も出来ず、何をやろうか考えあぐねていました。

そこで数年前に親を亡くし、遺産管理をする中で興味を持って本を読んでいた投資の勉強をしようと思い立ちました。

そして、どうせ勉強するならなんかの資格に繋げられないか探して見つけたのが、ファイナンシャルプランナーの資格でした。

 

2020年8月、その後3年間(高校生活と同じ期間!)に及ぶ、働きながら仕事以外の時間は資格の勉強に全振りの生活が始まりました。

 

(続く)

初めてのブログ(自己紹介)

 

 

2024年(令和6年)4月6日、新年度初めにあたりブログを始めます。

 

皆さんはじめまして"こいし"と申します。

 

このブログでは50代後半に差し掛かった平凡サラリーマン、道の端に落ちている、なんの害も無ければなんの役にも立たない、小石の様な私が経験した

 

  • 人生のターニングポイントでの決意
  • 遅過ぎた?自己投資としての勉強
  • 老後の為のお金の話し
  • 国家資格の活かし方

 

この4項目について、自身の経験と考えを書いていこうと思います。

同じ様な年代や境遇の方に読んで頂き、50歳を超えたこれからのご自身の人生について、何かのヒントになれば嬉しいです。

 

30年以上のサラリーマン生活

さて、私のこれまでの30年以上に渡るサラリーマン生活ですが、常に必死に、自分のやるべきこと、やれることを精一杯やり続け、あっと言う間に過ぎて行きました。そして気が付くと50代後半になっていました。

 

22歳で就職したときからずっと夢だった

 

  • 外資系企業で働くこと
  • 自由に世界中を旅すること
  • 世界を舞台に働くこと
  • 海外に住むこと
  • 外国人と自由にコミュニケーションが取れる様になること

 

すべての夢を次々に叶えることが出来ました。

 

必死で働いてきて30数年、海外勤務や地方勤務を経て会社では順調に出世し年収もアッパーマス層程度まできました。

本当にあっと言う間の30数年で、

 

しかし、50歳を過ぎてみると次に出来る事は限られていると感じました。今の会社でこれ以上出世すること、50歳過ぎてからの転職や今の年収以上の職業を求めることは難しいだろうと考えました。よく言われる

「自分の限界が見えてきた」

状態です。

 

今までのサラリーマン生活はまさに夢の中に居ました。

とにかく必死で働き、高みを目指し、自己投資も積極的に行い、30数年間給料明細を見ることすらしていませんでした。

働く事は生活の為、給料の為ではなくて、自己実現の為だったのです。

こんな風に書くと金銭的に恵まれたエリートみたいですが、そんな事は全く無くて、両親は私が中学生位に離婚し、母親だけが家族5人の生活を支える、どちらかと言うと下層生活でした。(自宅とある程度の残された資産があったので貧困では無かったですが)

学歴も高校生時代から遊びほけ、ロクに勉強もせずに専門学校を出るのがやっとでした。

そんな生い立ちや学歴は、今考えると自身の劣等感として心に刻み込まれ、それが30年を超えるサラリーマン生活の糧となり、誰よりも努力することができ、チャレンジを継続でき、夢を追い続けることができたのではないかと思います。特別な能力や学歴、恵まれた家庭環境や資産も無い私がただ唯一人に誇れるものがあるとすれば、それは「自分の仕事に心血を注ぎ、努力を継続してきた事」でしょうか。

 

そんな私が50歳を過ぎて、親を亡くし、夢を達成し(夢を失い)、初めて給与明細を見ることになり、老後を考え始めると同時に人生の目標が無くなり、惰性で生きる日々の中

「このまま定年まで変わらない日々を過ごすのだろうな」

と考え始め、初めて惰性で仕事に取り組んでいた頃、人生が大きく変わる出来事が起こりました。

 

(続く)